教育という視点から見た「テレビゲーム」

201412112201

おーはしは自分のことを、教育者であると考えていまして、実際にそのようなお仕事をさせてもらっています。

この前、機会をいただきまして、ゲームについての講演をしてきました。

その講演をするにあたって、現状認識と所信表明じみた文章をメモしました。

講演から少し経った今、これはここにアップロードしといたらいいかなと思ったので、記事に致します。

※私の意図は常に「子供の幸せ」と「ゲームが好きなすべての人の幸せ」にあります。



 

教育という視点から見た「テレビゲーム」

 

■前提として

・テレビゲームとは、コンピューターゲームのことであり、ボードゲーム、カードゲームその他のコンピューターを介入させないゲームは除く。
・教育とは、初等教育中等教育を想定している。

 

■テレビゲームの功罪または作用反作用という考え方

テレビゲームはすでに現代人の生活の一部であり、切り離し、無いものとして扱うことは不可能である。
であるからして、テレビゲームの功罪や作用反作用をしっかり認識し、適切な場所、適切な用法で活用していくことが必要だと私は考える。

教育とゲームの関係性を意識してみると、現状の教育業界では、「ゲームは悪である」「やるべきではない」という考え方に偏っており、いかにゲームと向き合っていくべきかの視点がかけているように思える。
しかるに「臭いものには蓋をする」の状態であり、その指導も「ゲームあんまりやるなよ」「ほどほどにな」くらいの声掛けしか行われていない。

そろそろ、ゲームの作用反作用であったり、功罪を理解しようという努力を始めても良い時期ではないだろうか。

 

■まっさらな状態でゲームを見たら、ゲームは単なる「道具」である

ゲームは単なる道具である。

ゲームには、“その存在だけ”で、人生を左右するほどの大きな力はない。使い方しだいでいかようにも変容する。
斧は、木を切る便利な器具になると同時に、人を殺す凶器にもなり得ることは万人が知るところである。構造は同じである。

教育者である我々は、もっとゲームについて知らなければいけない。無知なるままゲームを扱ってはいけないし、扱わせてはいけない。

不可解なことに、ことゲームにおいては「道具は正しく使わなければいけない」という当たり前の前提が浸透していないように思える。ゲームをよく理解していないものほど、都合の悪い自体が起こるとその原因をゲームにもとめ、あってはならないものとゲームを貶めている。

その様は、見ていて不安を覚える。

ゲームは単なる道具であるということを、まず教育者たるべき大人”が”理解せねばならない。
そして、どのように使うべきものなのかを、思考し判断してから、その後に子どもたちに伝えなければならない。

 

以上を現状認識・出発点とし、
私は「ゲームからは何を得ることが出来るのだろうか?」「ゲームと自らの関係性」について
もう一度深く検討・思考・研究したい。

そして世間に発表、また子どもたちには伝えていきたい考えています。

 

※私の意図は常に「子供の幸せ」と「ゲームが好きなすべての人の幸せ」にあります。



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